OB/OGのメッセージ
級友たちとの学びの日々が宝物
- 元宇宙航空研究開発機構 宇宙飛行士 山崎 直子
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- 1993年 卒業
- 1996年 修士課程修了
航空宇宙工学科での日々を振り返り、やはり、指導教官を初めとする学科の先生方、職員の方々、先輩方、級友たちとの学びの日々が宝物であったと実感します。
小学生の頃に宇宙戦艦ヤマトなどの緻密なメカ描写に憧れ、宇宙船の設計ができたら、いつか宇宙にも行けたらと思い、航空学科を選択しました。ですので、数々の専門授業と共に、飛行機の翼型断面図の製図をはじめ、設計から製図までの一連の流れを学べたことはとても嬉しかったです。当時はまだ、多くの先輩方が使ってきたであろう年季の入った木の製図台で、ステッドラーの製図ペンを用いて手書きで製図をしていました。学部卒業のためには、卒業論文の他に、卒業設計も必要であり、私は宇宙ホテルをテーマに選び、製図室に籠って仕上げたこともいい思い出です。当時は正直、宇宙ホテルはまだ夢物語と思いながら描いていましたが、今では現実味を帯びてきていることが感慨深いです。
研究室は、学部及び修士共に、田辺・中須賀研究室(現:中須賀・船瀬・五十里研究室)に所属し、軌道上輸送機(OTV)ネットワークの研究や、宇宙機の姿勢制御の機械学習などを行っていました。輪講で論文を読みあったり、先生の部屋で皆でお茶をしながら、システムとは何かという議論に熱中したり、合宿に行ったり、卒業生の大先輩方と忘年会でご一緒したり、何度も徹夜をして研究室で論文を仕上げたり、様々な思い出が蘇ります。修士課程では、一年間休学をし、米国メリーランド州立大学のSpace Systems Labで学ばせて頂きましたが、学外での体験も後押しして下さったことにも感謝しています。
修士課程終了後は、筑波宇宙センターで国際宇宙ステーション(ISS)の日本実験棟のシステムインテグレーションに従事した後、1999年に宇宙飛行士候補者となり、2010年にISSの組立補給ミッションに参加しました。ミッション後には、安田講堂で「帰地球報告会」をさせて頂き、有難うございました。現在は、政策面から宇宙に関わると共に、宇宙港を核とした宇宙産業振興や、次世代への宇宙教育に取り組みつつ、自身の研究にも精進しています。
進路を考えている学生さんには、是非、縦と横のつながりを大事にして、試行錯誤を重ね、チャレンジ精神を大切にして欲しいです。もっと女子学生も増えたらと期待しています。恩師の中須賀先生は、「工学とは夢や想いを形にしていく学問」とよく仰っています。宇宙船での生活は、衣食住すべての環境を人工的にシステムとして整えるにあたり、工学の手法は欠かせませんでした。「宇宙船地球号」と言われるように、地球上の様々な課題解決にも、地球をシステムとして捉えていく工学手法が益々大切になるはずです。皆さんの前途を応援しております。